三関せり

■生産地 湯沢市

■時 期  9月~4月

 三関セリは、地域で自生するものの中から長い時間をかけてよいものが選抜されてきたため、色、香り、味ともに優れています。また一番の特徴はその白く長い根にあります。寒冷地の三関ではセリがゆっくり成長するため、寒くなると葉茎より根が伸びます。そして、山々からの清浄な伏流水が、根の生長を助け、収穫後に行われる大量の水による徹底した洗浄に用いられ、根まで食べられるセリとして市場に流通されます。



◆三関扇状地がもたらすセリの産地

 湯沢市三関地区は、明治22年に関口村、上関村、下関村の三つ区域で三関村として発足した旧町村です。この地は、三関セリ、関口なす、ひろっこに代表される伝統野菜と、品質日本一と言われる三関さくらんぼの産地です。こうしたブランド農産物が生産される背景には集落の地形が大きく影響しています。東側には、東鳥海山に連なる雄長子内島、三本槍山など連山があり、扇状地が雄物川に向かって広がっています。しかし山と川の間の耕地面積は少なく、かつては雄物川の氾濫も頻発し米づくりには苦労をしてきた地域でした。この条件の中で、三関地域の農家は、古くからこの山々から滾々と湧き出る伏流水を利用してセリの栽培を行ってきました。また、奥羽山脈が太平洋側からの夏の低気圧やませを遮り、西からの午後の日差しがたっぷり差すため、昔から野菜やさくらんぼを作って、院内銀山町や湯沢市など販売し生計を立ててきたのです。その農業に熱心な地域の気風が現在でも品質の高い農産物をつくりあげてきたと言えましょう 

 

写真:ゆざわジオパークホームページより


◆三関セリの歴史

   三関セリ栽培の歴史は、三関村農会誌に「元禄年間に堰の傍らに繁茂していたセリを食した」と記されています。加えて穫りすぎたためでしょうか、一時根絶状態になりました。あるとき農民が、堰の掃除中に色も香りもよく、良く伸びるものを見つけ試作したところとてもよい成績だったため、そこから村人に広がり苗代で栽培するようになったと記されています。売り先はその頃隆盛を極めた院内銀山で、天保の頃には原苗が不足したため、山内や東成瀬まで苗を求めました。

こうして、営々と栽培されてきた三関のせりですが、院内銀山閉山後も品質の高いせりとして県内外にその名が知れ渡っていました。昭和35年の調査によると三関セリには、関口系、下関系、水上系、本内系、戸沢系と集落ごとに系統が違っていたようです。茎色も青緑系統と赤紫系統があり、その草丈も倍以上違うものがありました。昭和40年代には農協を通じて東京出荷もされるようになります。そこでこの中から、品質、収量両面から系統選抜が行われ、昭和40年代には「改良三関」で統一されるようになりました。 


◆三関セリの栽培

6月上旬に親株づくりを行います。前年栽培した中から、良質な株を残し、親株になるものを採取します。

※夏秋穫りは前年の10月下旬に行います。

 

親株を苗床に植えつけ
ランナーの繁殖を促し、育苗をします。

夏秋穫りは7月に、秋冬穫りは、9月~10月に苗(ランナー)を採ります。

 これが苗床から採取した種セリ(ランナー)です。


本畑への定植。
植えるというより置いていきます。
この後、活着するまで水管理が難しい。多すぎると苗が流れて偏ってしまうし、少ないと乾いてしまいます。

 

 

 露地栽培は8月から12月まで収穫されます。

 

 

ハウス栽培は、11月中旬から3月下旬まで収穫が続きます。
豪雪の中での収穫です。


 

 

調整作業
収穫したセリを集落で湧き出る伏流水で何度も何度も洗い、土や砂を落とします。
伏流水は温度が一定であるとはいえ、冬の水作業は大変厳しい作業です。



一本一本、枯れ葉を落とすなど調整します。この後、さらに伏流水で洗浄し清々しい三関セリとして出荷されます。

 

 

出荷する三関セリの荷姿です。
根は時間が経つと色がついて来るため、鮮度を維持できる県内に流通しています。一部首都圏でもデパートや秋田県のアンテナショップなどで販売しています。

 


三関せりの料理



参考文献
湯沢郷土史
農業秋田 昭和48年8月号
秋田県野菜栽培技術指針
あきた郷味風土記
写真提供:湯沢市ジオパーク協議会
       秋田県雄勝地域振興局農林部
       秋田県農山漁村生活研究グループ協議会